プラズマ・マイスターへの道

研究者の子ども時代

No.002

はじまりは、小さな実験だった       更新日:2026.1.27

  • バイオ・医療

  • 氏名(ニックネーム)

    豊國 伸哉

  • 所属

    名古屋大学大学院 医学系研究科 生体反応病理学

  • 学位

    医学博士

  • 生まれた年

    1961年

研究者も、最初はただの子供だった

研究者というと、子供の頃から理科が得意で、将来の目標もはっきりしていた人を思い浮かべるかもしれません。しかし、私自身はごく普通の子供でした。将来、研究者になると決めていたわけでもありません。ただ一つ確かだったのは、「実験することが好きだった」ということです。
今振り返ると、その「好き」という気持ちが、静かに、しかし確実に、今の自分へとつながっていったように思います。

風呂場で始まったアマガエルの実験

小学生の頃、私はアマガエルに強い興味を持っていました。雨上がりになると、近所でアマガエルをたくさん集めてきて、家の風呂場に連れて行きました。白や黒、赤、青など、さまざまな色の紙を床に敷き、その上に一匹ずつ置いてみたのです。

しばらく時間がたつと、アマガエルの体の色が、少しずつ変わっていくことに気づきました。すぐに変わるものもあれば、なかなか変わらないものもある。私は時計を見ながら、黙ってその変化を追い続けました。
その時間は、不思議と長く感じられましたが、退屈だと思ったことは一度もありませんでした。

なぜ色が変わるのだろう。同じアマガエルなのに、なぜ違いがあるのだろう。答えはわかりませんでした。それでも、自分の目で確かめ、時間の経過を記録し、考えること自体が、とても楽しかったのです。今思えば、研究の原点は、あの静かな風呂場にあったのだと思います。

母が教えてくれた「考えることの大切さ」

家庭では、特に母の存在が大きかったと思います。私が何かを試していると、危険でない限り、止められることはありませんでした。「どうしてそうなると思ったの?」と聞かれることはあっても、正解を教えられることはありませんでした。

その問いかけは、時に少し難しく感じましたが、「自分で考えてよいのだ」と思わせてくれました。結果よりも、考える過程を大切にする姿勢は、知らず知らずのうちに身についていったように思います。

父の仕事から感じた「社会とつながる責任」

父の仕事の姿も、私に多くのことを教えてくれました。派手な仕事ではありませんでしたが、自分の役割をきちんと果たし、社会を支える一員として働く姿がありました。その背中から、仕事とは人と社会に対する責任を伴うものなのだと、子供心に感じていました。

科学や医学もまた、同じように社会と深くつながっています。単なる知識ではなく、人の役に立つための学びである。その考えは、父の仕事を通して、自然に心の中に芽生えていきました。

親戚に医師はいなくても、医師になりたかった

私の親戚に医師は一人もいません。それでも、医師になることが、いつの間にか夢になっていました。病気を理解し、科学の力で人を助ける。そのためには、「なぜこうなるのか」を問い続けることが必要です。

子供の頃、アマガエルの色の変化を見つめながら感じた好奇心は、そのまま医学、そして研究へとつながっていきました。点と点が、ずっと後になって線になる。そのことを、私は自分の人生を通して実感しています。

そして今、低温プラズマの研究へ

現在、私は病理学を専門とし、がんや酸化ストレスの研究に取り組んでいます。さらに、低温プラズマの研究という新しい分野にも関わっています。一見すると、子供時代の風呂場での実験とは、まったく違う世界のように見えるかもしれません。

しかし、「条件を変えると何が起こるのかを観察する」「時間の経過を見る」「違いの理由を考える」という姿勢は、あの頃から何も変わっていません。研究の形は変わっても、好奇心の根っこは同じなのです。

未来の研究者へ

小学生、中学生、高校生の皆さんに伝えたいことがあります。今、将来の答えが見えていなくても、心配する必要はありません。好きなこと、不思議だと思うことを大切にしてください。遠回りに見える経験が、後になって大きな意味を持つこともあります。

「わからない」と感じる瞬間は、決して失敗ではありません。それは、新しい世界への入り口です。あのとき風呂場でアマガエルを見つめていた少年が、今もなお「なぜ」を問い続けていることを、皆さんにそっと伝えたいと思います。

一覧ページへ戻る